【茶】追憶・純愛

 
 
 今日のお花は、『茶』
 
 花言葉は、『追憶』『純愛』
 
  
 
 

 

 風薫る五月は、新緑の季節、お茶も新茶の季節ですね。私は、子どもの頃から日本茶を飲むのが大好きで、今でも毎日お茶を飲みます。子どもたちにも小さい頃からお茶を飲ませているので、うちの子たちもお茶が大好き。カフェインを気にしなくてはいけないのかもしれませんが、ジュースよりはいいのかと思っています。
 

 
 
 さて、そんな飲むためのお茶は皆さんよくご存知かと思いますが、お茶の木に咲く花を見たことはありますか?私は、山の中で育ったので、近くにもお茶畑があってお茶の木の花はよく見かけたものでした。
 

 でも、花だから春咲くのかな?お茶摘みの後咲くのかな?前に咲くのかな?と記憶が曖昧だったので調べてみると、お茶の花は秋に咲くのだそうです。子どもの頃、よく見た記憶はあるけれど、それがいつの季節だったかその記憶は曖昧だったようです。
 

 そのお茶の花の花言葉は、追憶、純愛。
 

 追憶と言えば、つい最近、Facebookのおかげで昔外国に住んでいたころに知り合った人と27年ぶりの再会を果たすことができました。すごいですね、Facebook。良い使い方ができれば今回のように懐かしい人と再会することができるのですね。
 

 そして、いざ再会してみると、私の記憶よりもその方の記憶の方が多くて、こんなことをした、あんなことをした、、と話してくださることの半分以上私の記憶からは消えていたのでした。私、どうしてこんなに記憶がないのかしらと少し心配になるほどでした。笑
 

 もう27年も前のことなので、追憶と言ってもいいほどの時間が経っていると思います。お互いの27年分のことを話すのにはとても時間が足りず、また会いましょうと言って別れましたが、たまには昔のことを思い出すのもいいですね。
 

 でも、思い出すのは楽しかった記憶だけ。嫌な記憶は自然に頭の中から消えているのですね。人間の脳ってよくできています。
  

 その方との話しの中で、私の結婚離婚の話しにもなったのですが、27年前の若かりし頃の私は、「愛があればお金など要らない」と豪語していた夢見る夢子ちゃんでした。その頃は真剣にそう思っていて、真面目な純愛を夢見ていたんですね。
 

 もちろん、今も愛は大切だと思いますが、現実は愛だけでは生きていけないということにかなり大人になってから気付きました。私、自分でも本当に夢子ちゃんだったと思います。
 

 決して純愛が悪いというわけではありませんが、純愛もいろいろなバランスが伴なわないと、愛が形を変えてしまうことがあるということです。これをもっと早く知っていたら、私の人生変わっていたかもしれませんね。
 

 そんなことを考えても懐かしい人との追憶の会話はとても楽しく、その方にも「今、とても楽しそうだね。」と言われて私はすごく嬉しく感じました。しんどそうだね、辛そうだね、と言われなくて、離婚やその後の苦労話をしたあげくに「楽しそうだね。」と言われたことが私にとっては最高の言葉でした。
 

 茶の花言葉から随分話が飛びましたが、皆さんもお茶を飲むときにはいろいろなことを追憶してみてはいかがでしょうか?