生かされている命(前編)

私の命は生かされている

 
今までこのことをブログやコラムに書いたり、知らない人に話したりするのは不謹慎なことだとずっと思ってきました。
でも、今日、やっぱり私の命は生かされている。と強く思ったので、今までずっと胸の内にあったことを書いてみようと思います。
 

そう思ったきっかけは、新型コロナウイルスに感染したドリフターズの志村けんさんがお亡くなりになったこと。今朝、ちょうどテレビがついていたので、ニュース速報の音がしてテレビに目を向けたら「志村けんさん死去」の速報が出て一人で見ていたとはいえ、絶句で周りの空気が静まり返ったような気がしました。
 

まさかあの志村けんさんが?お亡くなりに?え?本当に?嘘じゃないの?
入院してたってことは知ってたけど。。。
と、いろいろなことが頭の中を廻りました。

 
それと同時に、今自分が生きていること、新型コロナウイルスには感染していないこと、
今、比較的安全な環境で居られること、これまでの数々の場面の偶然が重なって今の自分あること等、
様々な過去のことが私の頭の中でものすごいスピードでよみがえってきたのです。
 

そして、一番に思ったこと。
 
私の命は生かされている。
 
今、私が生きていられるのは、これまでの運がとても強く良かったことと、生きている意味と使命が
あるからだと思ったのです。
 

なぜそんなことを思うかというと、私はもしかしたらとっくの昔に死んでいた運命かもしれないのに、
それを免れて来たのではないかとずっと思ってきたからです。
その私の体験の話がずっと話してはいけないと思ってきたこと。
それは、憧れのキャビンアテンダントになってからの話です。

 

憧れのCA時代のこと

 

子どもの頃からずっと憧れのCAになるのを夢見てきた私。
実際に航空会社に合格した時は、この世の全てがバラ色に見えるほど嬉しくて、自分の未来は夢と希望でいっぱいだと思いました。そして、訓練も終えて大空を飛べるようになったときには自分が本当にCAになった喜びでいっぱいでした。

 
でも、飛び始めて1、2年経った頃からフライトでクルーシートに座って離着陸する時にふと頭をよぎることがありました。
  
それは、
このまま飛び続けると、私は飛行機事故で死ぬような気がする。
という、言葉なのか、感覚なのか、誰かの声なのか、予感なのかわからないイメージ的なもの。
 

それは、漠然とした予感というか、言葉というか、本当に漠然としたものでした。

このままだと飛行機事故で死ぬかもしれない。

誰かが私にが言っているのか、何が根拠なのか、自分でも全く何もわかりません。
でも、毎フライトごと、離陸の時、着陸の時、エアバスの一番後ろのクルーシートに一人で座っている時にこのことが頭をよぎるのです。
 

その当時、付き合っていた彼がいた私は、「いや、絶対死にたくない。彼との未来があるのに死ぬなんて嫌だ。」と思ってバッグに忍ばせていた彼の写真を見ながら、あんなに憧れてなったCAだけどもう辞めてしまおうかとまで思っていました。だから、彼にもその気持ちを伝えました。
 

何か変な予感がするとは言わずに、「外国で一人で暮らすのも淋しいし、もう辞めちゃおうかな。」とだけ言ったら、「今のところで続かないとこれから先何をやっても同じ。我慢が足りないよ。」というようなことを言われました。
それは、確かにその通りですね。あれほど憧れた職業なのに、たったの数年で辞めようかなと言ってしまう私の堪え性のなさに彼は呆れたのだと思います。
 

でも、その数ヶ月後、思いもよらない出来事が起こります。
 

普通は一生に一度も経験しない出来事

 
その出来事とは、なんと、私が乗務していたフライトがハイジャックに遭ってしまうという普通では起こりえない事件でした。
しかも、そのフライトは同期の友人とチェンジして乗務していたフライト。
その同期の子はどうしても日本へ帰りたい用事があるので、私の日本便と自分のフライト(東南アジア便)を交換してくれないかと言ってきたので、特に問題はなかったから交換していたのです。
(私がいた航空会社はこんな風にフライトチェンジができました。)
 

だから、彼女が乗るはずだったフライトに私が乗っていて、そのフライトがハイジャックされた。
その同期の友人は、日本でこのハイジャック事件が報道されたのを見て血の気が引いた。
と言っていました。
それはそうですよね。自分が乗るはずだった飛行機がハイジャックされた。その便には自分とフライトをチェンジしたみかが乗っている。そりゃ、血の気が引くはずです。
日本の新聞の一面にも載ったと後から聞きました。
  

そして、そのハイジャックされた飛行機の機内では、若い男の犯人が爆弾を持っていると叫んでいました。

 
そのときの私の心境。
 
「あ〜〜、やっぱり早く辞めておけばよかった。こんなことになるなんて、やっぱり私は飛行機事故で死ぬんだ。」
 
と思って、爆弾が爆発して、この飛行機が落ちたら死ぬという恐怖に体がガタガタと震えました。
あんなに体が震えたのは、今まで生きてきた中で後にも先にもあの時だけですね。
本当にあの時ほど「死ぬ」ということを恐ろしく身近に感じたことはありません。


まだ親孝行もしていない。
私がここで死んだらお父さんもお母さんも悲しむだろうな。
死にたくない。まだたくさんの人にありがとうも言っていない。
神様、生きて帰れたら、一生懸命生きます!

 
こんな言葉が頭の中をグルグル回っていました。
 

でも、この出来事が「生かされている命」だと直接思ったことではありません。
中編に続きます。。。