生かされている命(後編)

 退職届を会社に出した帰りに立ち寄ったカフェで偶然会った先輩から聞いた言葉。その時の私と同じことを感じている不思議な気持ちになりました。これは、もしかしたら何かが起こるのかもしれないな。という気もしましたが、そんなことは誰にも言わず、その後、数ヶ月してから私はラストフライトを迎えました。
 

 あんなに憧れてなりたかったCAの仕事。私が勤めた年月は、たったの3年でした。
こんな風に辞めてしまう日が来るなんて、合格通知を受け取って、夢と希望で胸を膨らませていた時には考えられないことでした。たった3年しか続かないなんて自分でもなんか情けないな、と思ったし、これでもう空を飛ぶことも海外生活も終わりなのだと思うとやっぱ淋しい気持ちもありました。
 
 
 でも、決意したら止まらない私。今辞めることは、後になっても絶対悔やまない。絶対後悔しないと、最後にアパートの部屋を出るときに固く心に決めました。玄関のドアの前で部屋に向かって深くお辞儀をして、「何があっても絶対に後悔しない!」という言葉を自分に言い聞かせたことを今でも覚えています。
 

 この「何があっても絶対に後悔しない!」と自分に言い聞かせたことは、後々自分を助ける力になりました。未来の自分に向かって約束する。そうすると、何か不安な気持ちになった時でも、自分で決めたことなのだから。と心がぶれずに済むのです。
 
 
 だから、何かを始める時、辞める時、その先どうなっても自分が決めたことだから絶対に後悔しない、と心に決めることはとても大事です。
 


 さて、退職した私は、もうこれからは社割チケットも手に入らないと思い、自分探しの旅じゃないけど、最後にヨーロッパ一人旅行をしようと、イタリアからオーストリア、ドイツ、ベルギー、フランスへの旅の計画を立てました。
 

 でも、一人旅を楽しむはずが、ベネチアからウィーンへの電車は峠の山で何のアナウンスもなく4時間止まり、その日の目的地のウィーンに着いた時には夕方でホテルが見つからず(アテもない旅行だったのでホテル予約はしていない)泣きそうになったり、ベルギーではなぜか発熱。高熱で寝込み苦しんだり・・・。なんでこんなことになるの?と、一人珍道中な旅行でした。
 でも、これでしばらくヨーロッパにも来られないなぁ、と思うとやっぱり淋しい気持ちでしたね。
 


 そして、日本に帰って東京に住んでから1年ほど経ったある日、仕事を終えて家に帰ったら電話が鳴りました。当時は携帯などないので家の電話です。
 

 すると、それはエアライン時代の同期の友人からでした。とても仲が良かった友人でしたが、滅多に電話などしてこない子だったので、あら、珍しいね。と思って、「どうしたの?」と聞くと、
 

「いや、なんでもないんだけど、今、成田にいてね、これからフライトなの。時間があったからさ、みか、どうしてるかな?って思って。」
 
 
というようなたわいもないことを話しました。
 電話を切った後も、本当に珍しいなぁ、あの子が電話してくるなんて。と不思議に思いながら、その夜は外に食事に出かけた私。
 

 食事から帰って、テレビをつけた瞬間、ピピッ、ピピッと音がして画面上部に「ニュース速報」の文字が。なんだろ?と思ったその時、衝撃の文字が私の目に飛び込んできました。
 

○○航空、墜落。


 私は、声も出ず絶句。なぜなら、そのニュース速報に出た航空会社は、私が勤めていたエアラインだったからです。私の頭の中では、
「えっ?墜落?えええ?墜落?きっとあの子が乗ってる便だ!普段電話なんてしてこない子が電話してくるなんておかしいと思ったのよ。虫の知らせ?なんで墜落?どうして?!」
という言葉が巡り、とっさに、さっき電話をくれた同期の子が乗った飛行機が落ちたと思い込んでしまいました。


 彼女から電話をもらってから3時間くらい。成田からだったらどのあたりだろう?東シナ海?とか、いろいろ考えていた私。
 あまりにショックだったせいか、その時のことは、ニュース速報の文字を見たことまでは覚えていますが、その直後のことをあまり覚えておらず、今でも思い出せない。とにかく思考がストップ。私は、友人が乗った飛行機が落ちたと思い込んだのです。
 

 しかし、その墜落した飛行機は、同期の友人が乗った便ではないと、その後の情報で知ることとなります。

 
 墜落場所はヒマラヤ・・・。

 
 え?ヒマラヤ?東シナ海じゃないんだ。日本便じゃない。ということはあの子のフライトじゃない。よかった。
 かつて自分が勤めていたエアラインの飛行機が墜落したというのは事実なのに、良かったと思うのは不謹慎かもしれませんが、その時の私の正直な気持ちです。あの子の便じゃなくて良かった。
 
 
  でも、その墜落した便は、かつて私も乗務したことがあるフライトでした。そして、墜落した場所は、世界中の空港の中でも着陸するのが非常に難しいとコックピットクルーが言っていると聞いていた空港近く。それがちゃんと分かったのもいつの時点か今となっては記憶も曖昧ですが、とにかく友人のフライトではなかった。
 

 しかし、そのフライトは、毎日ではないけれど日本人も乗務する便なので、今日のそのフライトに日本人クルーが乗務していてもおかしくない。もしかしたら、その墜落した便にも誰か日本人クルーが乗っているんじゃないの?とも思いました。
 

 そして、悪いことに私のその予想は的中し、墜落した便には日本人の先輩が一人乗務していたのでした。当時のそのエアラインには日本人クルーは数十人しかいませんでしたから、ほとんどの先輩と顔見知り。
 

 墜落したフライトに乗務していた先輩は、私にとっては大先輩。誰もが知っている方でした。その先輩がその便に乗っていたと聞いた時には驚きとショックで声も出なかった。
 

 乗客、乗員全員が死亡した最悪の墜落事故。その犠牲となった乗員の一人が私たちの先輩だったのです。それは、すでに退職した私にとっても、とても大きなショックでした。
 もちろん、亡くなった方全てのご家族が悲しんでいると思うけれど、現役でまだ飛び続けている乗務員にはかなりの相当なショックだったと思います。
 

 誰が乗っていてもおかしくなかったそのフライト。たまたま先輩が乗っていただけ。だから、現役の乗務員はとても複雑な気持ちだったとも思います。


 そして、この墜落事故があってから、私は、もし退職せずにあのまま勤めていたら、自分があの便に乗っていたのではないか。と考えるようになりました。
そう考えると、毎回のフライト中に頭をよぎった「私はいつか飛行機事故で死ぬのではないか。」という予感は本当だったと言える。
 

 しかし、何かの力が働いて、私は死を免れて生かされているのではないか。あの墜落事故以来、強くそう思うようになっていったのです。
 

 あれほど憧れて苦労して合格したCAの仕事だけれど、自分で決めたことではあるけど、たった3年で辞める方向へ導かれた。後になって思うと、それは、あの事故を免れるためだったのではないか。そうだとすると、私はなんて運が良かったのだろうと感じます。
 そして、フライトの離着陸のたびに感じていた予感こそが「虫の知らせ」だったのだと思わずにはいられません。
 

 だけど、あの墜落事故では多くの方が亡くなっているし、先輩も亡くなっているのに、自分は何か導かれて運が良かったなんて言ってはいけないと思って今までほとんど言わずにきました。
 

 それに、そんなの何の根拠もないことだし、勤め続けていてもあのフライトには乗務しなかったかもしれないし、死ななかったかもしれない。それはなんとも言えません。
 

 だけど、やっぱり私は、とても運が強くて私の命は生かされている。もしかしたら、あの事故でとっくに死んでいたのかもしれないのに、とずっと思ってきたのです。
 

 しかし、これまでの人生で私に降りかかってきた出来事、巡り合ってきた人たち、どんなことでも偶然ではなく必然だったのだとも思います。自分に起こることは全て自分が選んできたこと。だから、今の自分がいるのです。

 それでも、全ては必然といえ、やはり人の命はとても儚い。それは、このコラムの前編冒頭に書いた通り、今、世界中で猛威をふるっている新型コロナウイルスで、志村けんさんが亡くなったときに一番に感じたことでした。
 

 この間まで元気だった人が今日亡くなる。そんな現実を志村けんさんの死を通して見た私は、これは志村さんの運命だったのだろうかと思いました。


 人は、いつどこで何が起こるかわからない。人間万事塞翁が馬。
 今朝、元気に出かけたからといって、元気に帰ってくるとは限らない。そんなことは、事故や災害のニュースを見るたびに感じていることだけど、やっぱりほとんどの人は実感がないと思います。
 

 だから、今、世界中で新型コロナウイルスが猛威を振るう未曾有の状況で、有名人の死を目の当たりにして、自分が今無事に生きていることを改めて感慨深く感じました。
 そして、私の命はあの時生かされたのだから、今生きていることに絶対意味がある。そして、使命もある。だから、今、自分ができることを一つずつやっていかなくてはとも思いました。
 

 このコラムを書き始めたきっかけは、志村けんさんがお亡くなりになったことでしたが、その時には予想もしなかった岡江久美子さんの逝去もあり、本当に衝撃でした。まさかこんなことになるなんて、と多くの人が感じているはずです。多分、お亡くなりになったご本人が一番予想もしていなかったことでしょう。

 今日生きているからといって、明日生きているとは限らない。
 これは、誰にでも同じことが言えるのです。だから、今この瞬間を大切にしていかなくてはいけない。

今、この瞬間、自分が生きていることが奇跡と言っていいほど生きていることは素晴らしい。たとえどんなに嫌なことがあったとしても、死ぬこと以外全てかすり傷みたいなもの。
 今、色々なことで苦しんでいる人がいるかもしれないけれど、どんな人でも自分が生かされていることに感謝して今を生きて欲しいと思います。
 

 そして、私も自分ができることで人の心を癒していければと思っています。生かされている命を大切にして、感謝の気持ちで書きました。最後までお読みいただき、ありがとうございました。